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学校の授業をめぐる問題の改善は、教育に直接責任を負う教師と保護者の努力によって、それぞれの学校において図られるべきものである。
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今回のように教育の現場を飛び越えて、保護者の訴えという形での意見を国会議員がいきなり委員会の場で「問題」として取り上げるなど、極めて異常なことといわねばならない。
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しかも、授業に使われたという一部の資料のみを取りあげ、授業者や学校に対し、それがどのような目的のもとに使われ、授業全体の中でどのように位置づけられ、子どもたちはどのように受け止めたか確かめるなど、授業の本質的なことに全く触れることなく、「過激」「ゆきすぎ」と断じるなど性教育を攻撃するために意図的に仕組まれたものとの印象が強い。
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こうしたやり方は、現場の教師の教育努力を無視し踏みにじる乱暴な教育介入と考えざるを得ない。 |
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指摘のあった学校で、実際にどのような授業が行なわれていたかは具体的には知る由もないが、一般に小学校段階で性交を扱う場合、いのちについて考え学ぶ学習として、そのいのちの成り立ちの過程で、どのようにして精子と卵子は合体・受精するのかという疑問に対応して、取りあげるのであって、委員会で話題にされたように「性技術」(山谷発言)を教えるために行なうようなことなど考えられない。 |
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ところが議員の中には、使われた資料の図などを、これまで性教育を受けたことのない大人の感覚で、「卑猥」「猥褻」と直感的に受け止める傾向が強い。今回の委員会の様子を見ると、はからずもそうした“大人”が持つ固定的な性のイメージに引きずられ、ニヤニヤした笑いを伴いながら話が展開されていた。このことは、誠に残念であると同時に極めて不快であった。 |
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今日、ゆがんだ性情報が氾濫する中で、さまざまなトラブルや犯罪に巻き込まれる子どもたちが増えている。性の教育は、こうした時代や社会のもとで、いのちの大切さを学び、性の被害者にも加害者にもならず、しっかり生き抜く力をつけるうえで、ますます重要性を帯びてきている。そのためにも、自分のからだやいのちの成り立ち、しくみを知ることが、生と性の主体者を育てる大切な基本的学習の一つであることは明らかである。
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当日、文部科学大臣は、周囲の発言に押される形で、実態調査をする方向で検討したいと思うと発言されたが、万一調査するのであれば、保護者からの声があった学校で、実際にどのような授業が行なわれていたのか、授業の全体、授業者の考え、学習した子どもたちの意見や保護者の声などを客観的につかみなおすことから、先ず始めるべきである。
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そうした努力もせずに、使っている資料のあれこれによって、結果として、授業の中身・評価を一方的に断ずるような「調査」になるとしたら、それは決して性教育の改善に役立たないであろう。
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私たちは、今回の参院予算委員会での性教育をめぐる「問題」の出し方、取りあげ方、審議の進め方について強い批判と抗議の意を表すとともに、今後の「調査」についても、教育現場の主体性を損なわず、子ども・教師がより意欲的に学び、取り組む展望が開かれるためのものとなるよう、強く要望するものである。 |